本日は表題のテーマに関して私が大切にしている考え方を共有いたします。
謙虚であること。
読んで字のごとく、「驕らない」と言うことです。
私は幼少期、大変な自信家でした。
テストはだいたい満点、中学生までは学年で3位以下をとったことがありませんでした。
ずっとやっていた習い事でも怒られたことはありませんでした。
しかし、そんな私が「謙虚」と言う言葉を知り、謙虚であることの大切さを知った期間があります。
それは高校生時代、芸術大学に入学するために画塾に通っていた時です。
そこには自分以上に実力のある同級がわんさかいて、加えて私はなかなか先生に褒めてもらえない、むしろけなされる日々を送っておりました。
随分と自信家だった私にとって、結構な地獄の日々でした。
が、先生は言うのです。
「お前がお前を信じられるその根拠はなんなんだ?」
と。
そう言われると、私は何も思いつかなかったのです。
今まで大した努力もなしに物事をこなせていたのは、才能でもなんでもなく、ただの偶然だったのです。
何かに真剣に打ち込んだこともなく、なんとなくでできてしまっていた。
そんな私に先生は壁を提示してくださったのです。
本気で考えて、深く深く深く考えて、そして手を動かし、技術を、センスを磨き、それでもけなされ…
真に人に認めてもらうことはこう言う過程を乗り越えてこそなのだと。
そしてその過程を乗り越え、継続するために必要なのが「謙虚さ」であると。
謙虚であることは驕らないことだけではありません。
「自分を疑うこと」ひいては「自分の周りに起きる事象を疑うこと」でした。
疑うことで、物事の本質が見えてくるのです。
本質を見抜くことで、課題解決につながる。課題解決につながると、他人に認められる。
認められることが大切なのではなく、人と関わる上で異聞の世界や価値観の中に自分を閉じ込めなくて済むのです。
感謝をすること。
謙虚であることは自分を疑うこと、と申しましたが、これだけではたりません。
自信を持つことと奢ってしまうこと、これは紙一重。自信を保ちながら謙虚であるにはどうすれば良いのか。
それは、人に対して敬意を払うこと、だと私は考えます。
人は誰しも一人では生きていけない。なんて言葉があるように、生きていけないことはもしかしたらないのかもしれませんが、一人では成し得ないことがこの世いんはたくさんあります。
自分よりも秀でている才能を持つ人、自分がやりたくないことを率先してする人がいることを理解することが大切です。そう言う人たちの集まりで、社会は成り立っています。
感謝をする、と言うことは、そんな人たちに対して「すごいな」と思うことなのです。
感謝をすることは、敬意を払うこと。敬意を払うことは、素直に認めること。
素直さは謙虚さから生まれます。
人に対して感謝の気持ちを持ち、それとなく言葉として、態度として、周りに還元すること。
例えば、朝立ち寄ったコンビニの店員さんに一言「ありがとう」と伝えること。
そんな小さなことでも実践していくと、心は晴れやかになります。
感謝の気持ちは、相手に気持ちをよくすることだけではなく、自分の気持ちもよくしてくれます。
まとめ
謙虚でいることは自分を正しく測ることです。
感謝をすることは相手のすごさを知ることです。
自分一人の世界で完結しないこと。
これは当たり前のことかもしれませんが、
そんな当たり前のことをバカの一つ覚えでもいいから、意識してみて生活してみること。
謙虚と感謝。この言葉だけでも意識してみてはいかがでしょうか。
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